8月のお終いの御挨拶
2013-09-18


暑い夏でした。ちょうど、煮えたぎる鍋の湯のような夏だったと思える程・・。ちょうど「乱流」のようでした。 

暑さで、何も出来なかったと思いつつ・・・、振り返ると案外と数多くの事が起きているのが、夏ではないでしょうか。

人生の出来事と気温ともちろん無関係ではないでしょう。氷から水、そして水蒸気へ・・温度のものさしのある点で、相の転移がおこります。

低温では、じっとしている水も、特定温度から渦が出来て、やがて「乱流」となります。夏の入道雲、洪水の水流、みな乱流です。

 夏の自然現象の激しい変化も、変動幅の大きい気象状況も、高温ゆえの「乱流」状態がもたらすものです。さらなる温度上昇に対して、乱流の状態を経て、やがて乱流が崩壊する均一相に移行します。

 生命は、この乱流の中で出来たとする学者がいます。大きな流れの中に、一時それに逆らう小さい乱流が出来、それが泡となり、細胞となり、生命の起源となったのではないか。多少乱雑な理論ですが、頷ける所もあります。

海水の巨大な流れである海流も所々に乱流ができ、予測不可能な動きをみせます。日頃、認識してないでしょうが、私達の生活はこの海や大気の乱流に配されています。

 異なる流れの接する場所は、生物にとって好ましい所です。黒潮と親潮の交わる海域が最高の漁場であることは、良く知られています。流れと流れのぶつがる所は、生命活動が活発な所と言っても良いでしょう。

いや、大きな渦の中の小さな渦が生命そのものかも知れません。

 暑い夏でした。でも、人生で意味ある出来事がおきるのが夏。旅に出て、見知らぬ世界や人に出逢う・・。ひとり過ごして、内面世界とであう・・。 

 暑い夏の夜には、不思議な夢をみるものです。それは、まるで心の中にも、乱流が出来て、あらゆる過去、あらゆる知識の断片が、掻き回されるようでもあります。

 その夢のうちに内面での出会いと別れを準備している事も。夏の太陽がもらたす、大きな乱流は、ひとりひとりの内面世界にも乱流を用意しているのでしょうか。

表面で変わらないように見える海も、深層部分では、乱流の塊と塊の出会いのドラマがあります。夏は、乱流塊のぶつかる季節でした。

もうすぐ、秋です。長い夏休みで離れていた日常の仲間に再開する人もいるでしょう。その時、夏の心の乱流の記憶をふと想い出してください。

夏の乱流がもらたした心の魂の成長がある事を。人は数分でも、違う方向を見て、違う場に立てば、もう違う乱流の世界で、自らの魂の世界を展開しているのです。

「塊」と「魂」、流れの塊と、心の魂の字が似ているのは、偶然ではないのかも。

  夏の風は嵐の風 
  たたかいの風  
  憎しみと愛の混じる風  
  濁り さわがしく   
  そして、  
  すべてを育てる豊かな風

     四季の風 より「夏」    

秋に向かって、乱流はゆっくりした定常流なっていきます。

その安定への過渡期に、夏の乱流の心世界の成果を、しっかりと実らせたいものです。  

【蛇足】 

またまた、月に一回の美文調・疑似科学的な意味不明な編集長の御挨拶でした。

なんだか空っぽのもです。・・まあ、 たまには空虚な文もお許しを。

え、いつも空虚だって・・・まあ程度の問題・・・・。

数年前のご挨拶の修正再掲です。

ミクロコスモス編集長 森谷昭一
[へちがら]

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